創建の由緒

 春日山神社は明治34年(1901年)、春日山城の中腹に崇敬者・小川澄晴(旧高田藩士)が謙信公の遺徳を偲び建立しました。神社のある場所は謙信公の生母虎御前の居宅跡といわれている乳母屋敷です。明治35年には大正天皇陛下(当時皇太子殿下)は有栖川宮威仁親王殿下と参拝に来られました。その後、大正昭和にわたり多くの皇族の方々が参拝に来られました。神社建設には郷土出身の郵便の父である前島密翁の助力がありました。
 日本海と頸城平野が一望できるところに神社があります。年間約30万人が全国から謙信公の義の心と遺徳を偲び参拝に来られます。
 また、創設者である小川澄晴の子息に日本のアンデルセンと言われている童話作家の小川未明がいます。未明は高田中学時代はここ春日山から通学していました。その頃の面影が境内のいたるところに感じられます。

謙信公像

謙信公像

春日山神社記念館

春日山神社記念館

小川未明 歌碑

小川未明 歌碑

かすがやま「春日山」の由来

 現在の春日山は昔、蜂ヶ嶺(はちがみね)と呼ばれていました。天徳2年(958年)当時の国司藤原為信が越後国府(直江津)に赴任した時、奈良の三笠山にとても似ている山があり故郷平城京を偲び山頂(現在の本丸跡)に奈良の春日大社の分霊を祀り春日社を建立しました。
 その後、謙信公の先祖長尾家・上杉家がこの山に砦(山城)を設けました。長尾高景が山城を増築する時、山頂にあった春日社を山麓の現在地に遷座しました。その時、神社の名を残し以後春日山としました。現在の春日神社は山頂に約500年、現在地に遷座してから約600年過ぎています。

祭神について

 上杉謙信公は享禄3年、越後守護代・長尾為景の8男として春日山城にて誕生しました。幼少の頃より春日山麓、林泉寺にて僧天室光育のもとで勉学に励みました。天文17年(19歳)兄・晴景より家督を譲り受け、長尾家を相続し春日山城に入りました。天文21年(23歳)関東管領・上杉憲政は謙信を頼り越後に来ました。天文22年(24歳)武田信玄と最初の川中島の戦いをしました。また、1回目の上洛の時、後奈良天皇に拝謁しました。永禄2年(30歳)2回目の上洛、正親町天皇に拝謁し、将軍・足利義輝に忠節を誓いました。永禄4年(32歳)鎌倉の鶴岡八幡宮にて上杉家の家督を継いで関東管領となりました。天正6年3月13日(49歳)春日山城にて亡くなり、遺骸は春日山城内不識庵に埋葬しました。
 謙信公は生涯多くの戦をしましたが、いつも「義の心」を持っていました。それは「筋目」を大事に、「仏法」と「王法」を重んじることです。社寺への祈願文からも窺い知ることができます。